グリーンとホワイト
アスパラガスと言えばグリーンとホワイトがありますが、実はこの2種類、基本的に同じアスパラガスで栽培方法が違うだけということをご存知でしたか。おなじみのグリーンアスパラガスは太陽の光を浴び、光合成により緑色に育ちます。一方、ホワイトアスパラガスは日の光を避けて栽培するため白いまま育ちます。現在、年間を通じて販売されているのはグリーンですが、かつてはアスパラガスといえばホワイトが主流でした。ヨーロッパではアスパラガスと言えばホワイト。春を告げる野菜として断然人気です。では、その歴史を簡単に振り返ってみましょう。
国産アスパラガスの発祥
アスパラガスは古代ギリシャ時代から栽培されていた野菜でその見た目から「食べる象牙」「畑の貴婦人」などと珍重されて来ました。ヴィラ ルピシアのあるニセコ周辺はホワイトアスパラガスの産地であると同時に、その生産の歴史にも深い関わりがあります。
ニセコの北西、ニセコ連峰を隔てた海沿いの町・岩内(いわない)町。この町で生まれた農学博士・下田喜久三さんが1922年(大正11年)に日本で初めてアスパラガスの栽培に成功しました。下田さんは冷害で苦しむ農家の惨状を見て、寒さに強い作物が必要だと考えました。ある時、枯れた畑に育つある植物に目を付けた下田さん。その植物がアスパラガスと同じユリ科のキジカクシであることをつきとめ、アスパラガスも栽培できるのではないかと考えます。海外から種を取り寄せ、研究を重ねた結果、寒冷地でも育つ品種を作ることに成功。こうして岩内町は「日本のアスパラガス発祥の地」となりました。
一方、ニセコの東、羊蹄山麓(ようていさんろく)の町・喜茂別(きもべつ)町でも岩内町に続いてアスパラガスの栽培に取り組みます。喜茂別地域のカルシウムを多く含んだ土壌、昼夜の寒暖差が栽培に適していたことからアスパラガス農家は徐々に増えていきました。岩内町を「発祥の地」とするのに対し、生産地として成長した喜茂別町は「揺籃(ようらん)(ゆりかごの意味)の地」と言われています。ちなみに当時はほとんどが缶詰に加工され、海外へ輸出されました。