ルピシアだより 2017年9月号
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お茶と禅— 心を調(ととの)える —

今、禅の教えを暮らしの中に取り入れる人が増えています。その禅と、古くから密接な関係にあるのがお茶。
今月は、京都・建仁寺(けんにんじ)と高台寺(こうだいじ)、東京・龍雲寺(りゅううんじ)を訪ね
禅を通じて「お茶」の持つ意味をあらためて考えてみました。

お茶と禅 -心を調える-

全てを捨てて心を空っぽに

東京・世田谷の龍雲寺。ここには毎週日曜の早朝から80人近い人々が坐禅を組みに訪れます。「坐禅をしたからって何も得るものはありません。逆に、全てを捨てていくのが坐禅です」と話すのは、龍雲寺の住職を務める細川晋輔(ほそかわしんすけ)さん。坐禅とは、日々の生活に一時停止を入れること。そうして自分を見つめ直し、ストレスや不安、過去の成功体験など、全てを捨てることで、心を調えていくのだと言います。

「初めての仕事でうまくいった時ってすごく嬉しかったでしょう。でも、同じ仕事を続けているうちに、慣れていって感動が薄れてしまう。だから、そういう過去の成功や経験に執着することなく、毎回初心で臨むのが大事。空腹なら何を食べてもおいしいのと同じように、心を空っぽにしておけば、毎回新鮮に感動できて、人生が豊かになる。坐禅はそのための手段の一つなんですね」(細川さん)。

龍雲寺住職の細川晋輔さんに、お茶と禅をテーマにお話を伺いました。

日本に禅と茶を広めた栄西(ようさい)

禅の思想は6世紀頃、南インドの僧・達磨(だるま)により、中国で広がっていきました。日本に伝わったのは鎌倉時代。中国で学んだ栄西が日本に禅を持ち帰り、京都に建仁寺を建立して、臨済宗を開いたのが始まりです。

そしてもう一つ、栄西が中国から持ち帰ったのが茶の種。栄西は日本で茶の栽培を奨励し、喫茶法を普及させました。その著書『喫茶養生記(きっさようじょうき)』に、「茶は養生の仙薬なり」とある通り、当時のお茶は嗜好品ではなく、健康のための貴重な薬でした。

禅寺では、今でも「茶礼(されい)」と呼ばれる儀式があり、お茶は欠かせない修行の一部。茶祖・栄西が開いた京都最古の禅寺、建仁寺で庶務部員を務める浅野俊道(あさのしゅんどう)さんは、その理由をこう語ります。「禅の修行は睡眠時間を極力短くします。なぜなら人間の三大欲(食欲、性欲、睡眠欲)のうち、一番強いのが睡眠欲だからです。本当に眠い時は体の欲望が睡眠欲だけになるので、これを忘れられたら、煩悩がなくなってきれいな心を保てるんですね。でも坐禅は止まっているだけだから、どうしても眠くなる。そこでお茶が眠気覚ましとして使われてきたわけです」

また、京都・東山区にある高台寺の執事、水谷宜行(みずたにぎぎょう)さんは、「坐禅中のお茶は緊張感を維持するためのもの。特に抹茶は精神や集中力を高めるのに効果絶大。まさに薬のようでした」と話します。

※栄西の読み方には、「えいさい」と「ようさい」の二通りがありますが、建仁寺では伝統的に「ようさい」と読んできたことから、本稿では「ようさい」とふりがなを振っております。

高台寺執事の水谷宜行さんに、お茶と禅をテーマにお話を伺いました。

お茶と坐禅の共通点

ところで、皆さんはどんな時にお茶を飲みますか。例えば考えに行き詰まった時や、イライラを静めたい時。あるいは一仕事終えて次の仕事に取り掛かる前。シーンは色々ありますが、お茶には不思議と気持ちを切り替えてくれる力があると思いませんか?

忙しい手を止めて、しみじみお茶を飲んでいると、張り詰めた気持ちが緩んで、ふっと心が楽になることがあります。すると、今まで気づかなかった小鳥のさえずりが窓の外から聞こえてきたり、庭の木々がほんのり色づき始めたのに気づいたり。慌ただしく動いていた時には気づかなかったものが色々と見えてきます。

その意味で、「お茶も坐禅みたいなもの」と、建仁寺の浅野さんは捉えます。「まずは一回止まるということ。一回頭を空っぽにしてみると、心が整理されて次の行動が取りやすくなるんです」(浅野さん)。

建仁寺 庶務部員の浅野俊道さんに、お茶と禅をテーマにお話を伺いました。

一杯のお茶を集中していれる

お茶をいれるという行為自体も、とても大事な時間です。「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を点てて、飲むばかりなるものとこそ知れ」。これは茶聖と言われた千利休の言葉です。「ただ」とは「ひたすら」の意味。湯を沸かし、急須に茶葉を入れ、急須から茶碗に注ぐ。ただそのことだけに、ひたすら一所懸命になる。それは目の前のことに集中し、一瞬一瞬を大事にしていこうという禅の精神そのものです。そうして心を込めて大切にいれたお茶は、明らかにおいしさが違います。

「一つのことに集中すると、他の色んなことを捨てられて、自由で幸せになれる。その手段は坐禅でもいいし、お気に入りのお茶でもいい。そうやって自分をリセットして、その調えた自分で次に何をするかが、本当に大事なところなのではないでしょうか」。龍雲寺の細川さんの問いかけが、強く心に響きました。


ただ、ひたすらにお茶を楽しむ
インタビュー:禅僧が語る「お茶と禅」 インタビュー:禅僧が語る「お茶と禅」
坐禅もお茶も、
人生の句読点だと思う。 - 龍雲寺住職 細川晋輔(ほそかわ・しんすけ)さん -

お茶は「和合」の象徴

禅の修行は、多くは2〜3年で一区切りとされるのですが、私は9年間、修行道場に在籍させていただきました。

修行の間には、「茶礼(されい)」が一日に何度もあります。これは、いわゆる点呼やミーティングのようなイメージです。全員いるかどうかの確認と、今日これからやることの確認をする。このとき、一つの釜で沸かしたお湯をみんなでシェアし、同じ急須から注いだお茶をみんなで飲むのが一番のポイント。禅では「和合」を大事にするんですが、お茶はその象徴。みんなで同じお茶を分け合って、切磋琢磨して悟りを目指そうという意味で、お茶はとても大切なんです。

修行道場での食事には、茶飯もありました。番茶だけで米を炊いて、少しの塩で味付けするんですが、これが香ばしくて本当においしい。お茶漬けとはまた全く違って、お茶の良さが凝縮された味わいです。茶飯は年に3回程しか出ないご馳走なので、茶飯の日はお坊さんたちが皆ときめくんです(笑)。

修行中の食事は、もちろん喋ってはいけません。器も一つずつしか持ってはいけない。これは、目の前のことを一つ一つ大事にするという意思の表れです。ご飯を食べる時はご飯の味に集中する。その時にみそ汁の味を想像してはいけない。まさに人生と一緒で、仕事中は仕事に集中し、遊び中は遊びに集中する。そういう気持ちで、一期一会に生きていくと、幸せな人生を歩めると思います。

人生をより豊かに

私は、坐禅は文章を構成する句読点のようなものだと考えています。句読点だけでは意味をなさないけれど、効果的に使うと文章が締まって格段に読みやすくなる。人生を文章と捉えれば、効果的に区切ることで生きやすくしてくれるのが禅なんです。

その意味では、お茶も同じなのかもしれません。以前、ある有名歌手の方が「大好きな紅茶を飲む5分間で全てを忘れて幸せになれる」と話していました。寝る間もないくらい忙しい方が、お茶を飲む5分間で全てを捨てられる。だからこそ、また新鮮な気持ちで次の仕事に向かえるんでしょう。

坐禅だけで人生が劇的に変わったり、お茶だけで人生が変わることはありません。でも、どこかに取り入れていただけると、自分をリセットするきっかけになるかもしれない。そうやって毎回新しい気持ちで生きていければ、人生はより豊かなものになるのではないでしょうか。

心が乱れた時は
茶を一服するといい。 - 高台寺執事 水谷宜行(みずたに・ぎぎょう)さん -

一度止まって自分の心を調える

  • ――最近、生活の中に禅的な考え方を取り入れる方が増えているそうですね?
  • 水谷:皆さん、色々と悩みを持ってはるんでしょう。少しでも心の不安や悩みが取れたらいいなということで坐禅を勧めています。坐禅を今日したからといって、いきなり何かが変わることは無いと思いますが、とにかく何かに集中することが重要。たまには止まって、一回自分の心の状況を見つめてみなさいと、坐禅会ではよくお話ししています。
  • ――自分を見つめるとは、どういうことですか?
  • 水谷:日常、動いていると分からないものですが、一度立ち止まってみてください。静かな状況になってみると、そこで初めて自分の心が分かります。例えば、電車の中でもお子さんの声が気になるという方がおられますが、それは自分の心の乱れから来ている。自分の心が落ち着くと、どんなにうるさいところでも、静かに感じられるんです。
  • ――どう受け取るかは自分次第だと?
  • 水谷:そうです。何でも相手を責めるのではなく、まずは自分の心を調えてあげることが大事。興奮状態に陥った時は、茶を一服していただいて、心を落ち着かせるといいですよ。

煎茶と抹茶は一服の目的が違う

  • ――水谷さんは、お茶がとてもお好きだと伺いました。
  • 水谷:好きですね。私はすごく緊張しいで、法話が苦手。だから法話の前にはカモミールティーを飲んで心を落ち着かせています(笑)。急須でいれる時間も大事で、やっぱり片手間ではダメですね。お茶をいれている時に話しかけられたら、「今あかん、あと5分だけ待って!」と言いますわ。
  • ――お抹茶にもこだわりが?
  • 水谷:同じ一服でも、抹茶と煎茶では目的がちょっと違うんやないでしょうか。煎茶は心の乾きを癒す、ほっとしたい時のもの。方や抹茶は、緊張感を得たり、精神状態を高めるためのものやと思います。武将方が抹茶を好まれたのも、常々命の危険を感じる中で、緊張感を維持するために利用されたんやないか。坐禅中に茶を飲んだのも、同じやと思います。眠くなった時に、ほんまにカフェインの効果は絶大でしたからね。ですから今でも、今日は集中して勉強したいなという時には、濃いお茶を飲むようにしています。ほんま私にとっては、薬みたいなものなのです。
「喫茶去(きっさこ)」は
悟りの境地やと思います。 – 建仁寺 庶務部員 浅野俊道(あさの・しゅんどう)さん –

建仁寺のお茶が茶道の原型

  • ――建仁寺は、お茶を日本に広めた栄西禅師が建立したお寺です。建仁寺にとって、お茶はやはり特別な存在なのですか?
  • 浅野:もちろん。建仁寺に伝わるお茶は法要や修行の一部です。法要では、読経の後に故人を偲んで同じ部屋で食事をします。その食事の後に出てくるお抹茶の作法やしつらえが、実は今の茶道の原型です。正面の仏壇に位牌や遺影を置いて、松一本と蠟燭(ろうそく)をお供えする。その仏壇のまわりで皆がお茶を飲むと。それが栄西禅師の伝えたお茶なんですね。
  • ――ということは、今の茶道でいう床の間が仏壇、掛け軸が遺影、季節の花が松一本に当たるわけですか?
  • 浅野:その通り。栄西禅師の400年後に千利休さんが出てきて、法要の中のお茶の部分だけを取り出して、しつらえを見立てたんです。子どもの頃、床の間に足載せたらあかんと怒られましたが、そら、仏壇に足載せるのと一緒ですからあきまへんよね(笑)。

一瞬一瞬のドラマに向き合う

  • ――お茶にまつわる禅語に、「喫茶去(きっさこ)」という言葉がありますが、どのように捉えていますか?
  • 浅野:これは悟りの境地やと思います。「お茶をどうぞ」という意味ですが、それを誰に対しても分け隔てなく本心から言えるかどうか。
  • ――相手の身分や、好き嫌いなど関係なく平等に?
  • 浅野:そうです。相手にかかわらず、その人のためだけに真剣にお茶をいれる。ですから、もてなされた側もそうやって一所懸命にいれてくれたお茶を、本気出して飲まなあかんのです。
  • ――お茶と言えば、千利休が遺した「一期一会」という言葉もありますね。
  • 浅野:一期一会は、その瞬間瞬間を大切にせなあかんということやと思います。「雨滴声(うてきせい)」という禅語があるんですが、ひと言で「雨音」と言っても全部違う音なんですよ。それぞれの水がそれぞれの音。だからその音を聞けるのは、その時、その場所、その時間だけ。宇宙規模で見たら、人間の人生なんて滴一つくらいのものだと思います。でも、このポチョンという一滴の中に、どれほどのドラマがあるか。
  • ――その一瞬のドラマに立ち会えることは、奇跡のようなものですね。
  • 浅野:ええ。ですから何事もご縁を大切にして、慈しみの心で向かい合えれば、皆さん幸せになっていただけると思いますね。
たまには忙しい手を止めて、お茶をいれる、味わう時間に集中してみませんか。 たまには忙しい手を止めて、お茶をいれる、味わう時間に集中してみませんか。