ルピシア グルマン通信11月号 Vol.87 ルピシア グルマン通信11月号 Vol.87
大地を照らす北の宝石余市(よいち)のリンゴ 大地を照らす北の宝石余市(よいち)のリンゴ

ニセコからほど近い余市町は北海道を代表するリンゴの名産地。ニセコと余市を結ぶ不思議な縁に導かれたリンゴの物語をご紹介しましょう。

リンゴの起源

リンゴの起源は中央アジアの山岳地帯からコーカサス地方周辺と言われ、ヨーロッパとアジア、2つのルートで世界に広まったと考えられています。トルコでは8000年ほど前の遺跡から炭化したリンゴが発見されており、当時から食べられていたと推測されます。

アジアには観賞用として伝わり、日本へは平安時代に中国から伝えられました。このリンゴは「和リンゴ」と呼ばれるもので、現在の食用とは異なります。西洋リンゴが日本で栽培されるのは明治に入ってからのことでした。

北海道とリンゴ栽培

北海道とリンゴの縁は深く、日本で初めてリンゴ栽培が行われたのは函館の北の七飯(ななえ)町でした。幕末に来日したプロイセン(現在のドイツ)の貿易商ライノルト・ガルトネルは明治元年(1868)、同地にリンゴを始めとするさまざまな苗木や大型農器具を持ち込み、西洋農場の開発を試みました。

明治5年(1872)ごろ、北海道開拓使はアメリカとカナダから約40万本の果樹苗木を輸入、その中には約4万本の西洋リンゴの苗木がありました。これらの苗は道内各地に配布され、栽培が試みられましたが、当時はリンゴ栽培の知識、技術も乏しく、栽培は困難を極めました。この困難打開に大きな役割を果たしたのが、いわゆるお雇い外国人の一人、ドイツ系アメリカ人のルイス・ベーマーでした。開拓使に雇われ北海道に着任したベーマーは約10年にわたり北の大地に多くの功績を刻みました。北海道で自生のホップを発見し、ホップ栽培に適した地であることを認識、ビール工場開設に寄与。これが後のサッポロビールです。さらに余市のリンゴの育成指導の貢献度は多大で、ベーマーの教えを請うた余市の若者たちがリンゴ産地としての礎を築きました。

余市のリンゴ栽培の歴史は、明治初期、この地を開拓した旧会津藩士の苦難の歴史でもありました。明治8年(1875)に開拓使から500本のリンゴの苗木が支給されましたが、ほとんどを枯らしてしまったそうです。しかし明治12年(1879)、かろうじて育った1本が結実。これが余市産リンゴの始まりとなり、その後、余市のリンゴ生産者のたゆまない努力の積み重ねの末、リンゴは余市の特産品として成長したのです。

2014年に放送された、余市を舞台にしたNHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった竹鶴政孝(たけつるまさたか)が創業した「ニッカウヰスキー」の前身が「大日本果汁(略称:日果)」であることをご存知の方も多いでしょう。

4代続くリンゴ生産者

余市町東部の登町にある「森果樹園」は今では少なくなったリンゴ栽培を専業とする生産者。4代目にあたる森靖彦さんは幼いころからリンゴとともに育った生粋の余市のリンゴ農園主です。

森家の歴史は北海道開拓の歴史そのもの。実は靖彦さんの3代前の曽祖父は明治20年代、徳島県からニセコ(倶知安)に入植しました。ニセコを拠点とするヴィラ ルピシアとの不思議な縁を感じます。曽祖父と祖父の努力で着実に農地を広げるようになったある日、リンゴの評判が耳に入ります。当時、ニセコでリンゴを栽培している生産者はいませんでしたが、試しにと取り組んだところ、予想外の大評判を得ました。余市での成功の前にニセコでのリンゴの成功体験があったというのは驚きですね。そして昭和6年(1931)、森家は余市の現在の場所へ移住し、祖父、父、そして靖彦さん3代で本格的にリンゴ栽培に取り組みました。

現在、森果樹園で栽培している主要品種は「つがる」「昴林(こうりん)」「ハックナイン」「ふじ」など。その他にもたくさんの品種があるといいます。「リンゴの品種は無限です。安定供給できる品種が栽培のメインになりますが、ほかの品種も可能な限り栽培を続けています」と語る靖彦さん。

今回、ヴィラ ルピシアの植松シェフが注目したのも、そんな少数生産品種の中のひとつ「あかね」でした。
「以前からあかねを使っていたのですが、とにかく生産数が少なく、手に入りにくい。それが森さんの果樹園にはたわわに実っていました。果肉がほんのりと赤く、適度な酸味があって、調理するととてもおいしいリンゴです」と語る植松シェフ。森さんの果樹園の中でもひときわ赤い実をつけている「あかね」の樹を見つけご機嫌です。「豚肉のしっかりとした旨みと火を入れたリンゴの爽やかな味わいを楽しむ王道ソテー。ひき肉にリンゴを合わせるという意外なおいしさのボロネーゼ。そしてリンゴのピクルスも爽やかな一品です。今回はリンゴのおいしさをさまざまなバリエーションで発見いただこうと考えています」と意気込む植松シェフです。

リンゴの神様

靖彦さんが今も大切にしているという一冊の古い本があります。昭和6年(1931)刊行の『実験リンゴの研究』、著者は“リンゴの神様”と呼ばれる農学博士、島善鄰(しまよしちか)氏。島博士は青森でリンゴ栽培の技術向上に貢献し、のちに北海道大学の学長になった人。この本は日本で最初のリンゴ栽培の専門書で、いわば靖彦さんのバイブルです。ちなみに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の作中、燈台看守がリンゴを手に登場する場面がありますが、この燈台看守のモデルが賢治と同じ岩手県稗貫郡(ひえぬきぐん)(現花巻市(はなまきし) )出身の偉人、島博士のことだということを知りました。そういえばリンゴの赤は「蝎(さそり)の火」の赤。「みんなの幸(さいわい)」を照らす光なのかもしれません。

北海道の開拓とともに歩んできた余市のリンゴ。そして余市とニセコでリンゴを巡る不思議な縁に導かれた生産者。北海道開拓150年を辿る、壮大なリンゴのメニューをどうぞご堪能ください。

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