ルピシアだより 2016年5月号
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世界最高の紅茶産地 ダージリン 世界最高の紅茶産地 ダージリン

ヒマラヤを望む高原のリゾート地に、19世紀半ば、紅茶の製法と選り抜きの茶樹が運ばれました。約1世紀半の時を経て、ダージリンの紅茶はさらなる進化を遂げています。

名産地の起源と品種

インド北東部の山岳地帯ダージリンは、エベレスト、K2に次ぐ、世界第3の高峰カンチェンジュンガ(8586m)の麓(ふもと)に広がる景勝地。1835年にイギリス東インド会社が当時のシッキム王国よりこの地を買収してから、涼しい山の気候が好まれ、在印英国人の避暑地、英国人子弟を中心とした学校の街、そしてヒマラヤ地方への登山基地として発展しました。

この地で本格的な茶栽培が開始されたのは1852年。スコットランド出身の植物採集家(プラントハンター)ロバート・フォーチュンが、中国福建省・武夷山(ぶいさん)などから持ち出した2万株の茶樹や茶の種を植樹したことに始まります。当時、紅茶の製法は中国清朝がほぼ独占する国家機密でしたが、戦乱などで国土が弱体化していたこともあり、フォーチュンは選りすぐりの茶樹とノウハウを中国から持ち出すことに成功したのです。

開墾(かいこん)当初、ダージリンに植樹した茶樹は、環境の変化のためほとんど枯れてしまいました。もしこの時に全滅していたら、現在の紅茶産地としてのダージリンの名声はなかったでしょう。幸運にも、わずかに生き残った茶樹を元手に、子孫を繁殖することに成功。19世紀末には、現在とほぼ同規模である約2万ヘクタールの茶園がダージリンに開かれていました。

この時の茶樹の子孫は中国種(チャイナ)と呼ばれています。爽やかな滋味と自然な香気、小さな茶葉が特徴です。ダージリンの茶樹は、特に香り高いタイプの品種を含んでいたようです。

もうひとつの系統

実は英国が最初に開墾した紅茶産地はダージリンではありません。ダージリンの南東に広がる盆地、インド北東部アッサム地方で1823年に野生茶樹が発見され、先に紅茶の生産が開始されていたのです。

これらの茶樹はアッサム種と呼ばれる中国種とは別の系統。暑さに強く大きな茶葉を持ち、紅茶にするとミルクや砂糖の風味に負けない力強い風味とコクが醸される特徴があります。

あまり知られていませんが、標高600〜2500mにわたるダージリンの茶園は、標高の高低によって大きな温度差があるため、標高の低い地域では暑さに強いアッサム系の品種を、標高の高い地域では耐寒性のある中国種系の品種を中心に栽培しています。

現代の主流

お茶の種から苗木を作り育てる伝統的な実生(みしょう)の茶樹に対して、挿し木などで増殖させたクローナルは、近年、ダージリンで栽培される茶樹の主流になりつつあります。

クローナルというと、すこし難しそうですが、現代の日本茶は「やぶきた」を中心としたクローナルの品種がほとんどを占めています。実は日本の私たちにも親しみ深い栽培方法なのです。

ダージリンのクローナルは、中国種とアッサム種、これらを交配させた交雑種(ハイブリッド)の中から、特に品質や耐病性、収量などにすぐれた茶樹を選抜し母樹にしたもの。単一の遺伝子を持つクローナルの茶樹は、同じ環境であれば新芽を同時期に計画的に収穫できる、また品質が安定しているなどの大きな利点があります。

クローナルの秘密

現在のダージリンで栽培されるクローナルは主要なものだけでも約30種。それぞれの茶園で誕生し、門外不出となっている品種もあります。なかでもキャッスルトンやマーガレッツホープなど名園を代表するスペシャルティーとして使われているAV2(茶葉写真)は、花のように甘い圧倒的な香りと、みずみずしく繊細な風味で有名です。しかし、このような単品としての使用例は一部の高級茶に限られています。

茶園によって状況は異なりますが、多くのクローナルの茶葉は、最終的にその個性と特徴に準じてバランスを調整し、ブレンドされて出荷されます。

経験深いマネージャーや管理者によって、品種の異なるクローナルの育成状況がチェックされ、味わいのベースとなる茶葉、香りのアクセントとなる茶葉など最終的な仕上がりの配合を事前に計算してから茶摘みを行うことで、生葉の段階でブレンドされ製茶されることも少なくありません。

これからの可能性

遠く中国の名産地に由来する伝統の中国種と、原産地にもほど近いアッサム種の2つの系統。これらダージリンで栽培される茶品種は、他の紅茶産地とは比べ物にならないほど豊かな多様性を持っています。

また今後、私たちがまだ出会ったことのない新品種がこの土地で誕生する可能性も秘めています。

春のダージリン訪問記 春のダージリン訪問記

春のダージリンへ

ダージリンはコルカタを州都とするインド西ベンガル州の最北部、ヒマラヤ山麓の山岳地帯です。おたより取材班が現地を訪れたのは3月下旬。山の斜面には茶摘みをする女性たちの姿があちらこちらで見られます。

今回の取材は、初めてのダージリン訪問となる新米スタッフが担当。誰もが知る「紅茶の聖地」に自然と胸が高鳴ります。茶園マネージャーたちの邸宅を訪れると、どのお宅も美しい花々に囲まれ、とてもすてきな雰囲気。さて、お茶の専門家はどのようにファーストフラッシュを楽しんでいるのでしょうか。

「ファーストフラッシュは飲み口が軽く、1日に何杯でも飲める。お気に入りの紅茶です」と話すのはマーガレッツホープ茶園マネージャーのチャトルジー氏。お砂糖を少量加えるのが彼の好み。そうすることで香りがより強く感じられるのだそうです。

キャッスルトン茶園マネージャーのガジメール氏は「今年のファーストフラッシュは雨が少ない分、茶葉の成長がゆっくり進んだので、香りや味わいがしっかりとしたお茶に仕上がった」と自信たっぷり。他の茶園でも今年の出来は上々のようです。

英国風の伝統的な建物が並ぶ中心地ダージリンタウンは、多くの商店が軒を連ねるにぎやかな街でもあります。人と車でごった返し、静かな茶園とは対照的な風景です。ダージリンは紅茶だけでなく、世界遺産のヒマラヤ山岳鉄道トイ・トレインなどがある高原のリゾート地としても、ますます注目されている地域なのです。

さあ、はるかダージリンに思いを馳せながら、旬の味わいをお楽しみください。

【facebook特別連載】 春のダージリン訪問記
今回の取材は、初めてのダージリン訪問となる新米スタッフが担当。誰もが知る「紅茶の聖地」に自然と胸が高鳴ります。
Vol.06ダージリンの女性たち【NEW!】(2016.6.29投稿)
Vol.05ファーストフラッシュの楽しみ方
Vol.04タルボで恵みの雨
Vol.03バダンタンの巨大ブッダ
Vol.02マーガレッツホープでティータイム
Vol.01キャッスルトンの朝

登山とダージリン紅茶 山ガールなどで注目を浴びている登山の文化。
ダージリンは実は紅茶だけでなく、
伝説の登山の聖地としても知られています。

19世紀から20世紀まで、ダージリンはヒマラヤ登山の訓練場や基地として、重要な土地でした。1953年、エドモンド・ヒラリー卿と現地シェルパのテンジン・ノルゲイがエベレストに初登頂。その功績を記念し、インド初代首相のネルーの主導のもと、テンジンが初代校長となりヒマラヤ登山学院が設立されました。学院近くにはヒマラヤ登山に関するさまざまな資料を展示している山岳博物館があります。今回、学院のグルシャン・チャダ校長に博物館内を案内してもらいました。「これがヒラリーとテンジンが初登頂した時の資料です」とチャダ校長。そこにはカップを持つ二人の写真がありました。「山はとても寒いので、体温を維持するために紅茶をよく飲みます。ミルクや砂糖を入れた濃い紅茶です」とのこと。紅茶と登山にも深いつながりがあったのですね。

エベレスト初登頂時の資料、右下のヒラリーとテンジンの持つカップに注目。