名産地の起源と品種
インド北東部の山岳地帯ダージリンは、エベレスト、K2に次ぐ、世界第3の高峰カンチェンジュンガ(8586m)の麓(ふもと)に広がる景勝地。1835年にイギリス東インド会社が当時のシッキム王国よりこの地を買収してから、涼しい山の気候が好まれ、在印英国人の避暑地、英国人子弟を中心とした学校の街、そしてヒマラヤ地方への登山基地として発展しました。
この地で本格的な茶栽培が開始されたのは1852年。スコットランド出身の植物採集家(プラントハンター)ロバート・フォーチュンが、中国福建省・武夷山(ぶいさん)などから持ち出した2万株の茶樹や茶の種を植樹したことに始まります。当時、紅茶の製法は中国清朝がほぼ独占する国家機密でしたが、戦乱などで国土が弱体化していたこともあり、フォーチュンは選りすぐりの茶樹とノウハウを中国から持ち出すことに成功したのです。
開墾(かいこん)当初、ダージリンに植樹した茶樹は、環境の変化のためほとんど枯れてしまいました。もしこの時に全滅していたら、現在の紅茶産地としてのダージリンの名声はなかったでしょう。幸運にも、わずかに生き残った茶樹を元手に、子孫を繁殖することに成功。19世紀末には、現在とほぼ同規模である約2万ヘクタールの茶園がダージリンに開かれていました。
この時の茶樹の子孫は中国種(チャイナ)と呼ばれています。爽やかな滋味と自然な香気、小さな茶葉が特徴です。ダージリンの茶樹は、特に香り高いタイプの品種を含んでいたようです。