北海道の酒造り
北海道で日本酒造りが始められたのは江戸時代、道南の松前(まつまえ)や江差(えさし)などで造られていたと伝わっています。やがて、時代は明治になり、本格的な酒造りが始まりました。明治5年(1872)、開拓使が置かれて間もない札幌で石川県出身の柴田與次右衛門(よじうえもん)が一軒の造り酒屋を開きます。当初はドブロクなどのにごり酒が主でしたが、この酒が評判を呼び、数年後には清酒造りに着手、着実に商売を広げていきます。この造り酒屋こそ、今日「千歳鶴」で知られる「日本清酒株式会社」の前身でした。
もともと寒冷な北海道の気候は酒造りに適したものでした。開拓が進むに連れ道内の人口が増加、日本酒の需要も伸び、明治30年代には道内に約200の蔵元があったといいます。第二次世界大戦で一時期停滞しますが、戦後、高度経済成長とともに北海道の酒造りもふたたび成長、昭和40年代にそのピークを迎えます。
しかし、昭和50年代に入ると急速なビールのシェア拡大、大手酒造メーカーの量産品の台頭により、道内の日本酒産業は大きく衰退、出荷量はピーク時の半分にまで落ち込み、蔵元の数も減ってしまいました。
平成4年(1992)、日本酒の級別制度が廃止されると日本酒造りにふたたび好機が訪れます。「地酒」を売りにする小さな酒蔵や吟醸酒などに注目が集まり、個性的な酒造りをする酒蔵が増え、日本酒は新しい時代を迎えました。