源右衛門窯とは
日本磁器発祥の地、佐賀県有田で窯を築くこと260年余り。江戸時代から伝わる有田焼=「古伊万里」の心と熟練陶工の手技を受け継ぎながら、時代と暮らしに適した磁器の機能美を追求し続ける窯元です。日常食器を中心に、インテリアや工芸品まで幅広く開発。ハンガリーの名窯ヘレンドとのコラボレーションなど、新分野に果敢にチャレンジする革新的な姿勢にも定評があります。
日本磁器発祥の地、佐賀県有田で窯を築くこと260年余り。江戸時代から伝わる有田焼=「古伊万里」の心と熟練陶工の手技を受け継ぎながら、時代と暮らしに適した磁器の機能美を追求し続ける窯元です。日常食器を中心に、インテリアや工芸品まで幅広く開発。ハンガリーの名窯ヘレンドとのコラボレーションなど、新分野に果敢にチャレンジする革新的な姿勢にも定評があります。
有田の焼き物は、各工程が専門職人による分業制で成り立っています。何人もの職人の手を介し、ようやくひとつの焼き物が出来上がるのです。
源右衛門窯の工房を訪ねると、熟練の専門陶工たちが黙々と作業に没頭していました。一切の音がなく、張り詰めた空気に包まれた工房は、まるで時が止まっているかのよう。
職人の手から次の職人の手へと、阿吽の呼吸で託される器たち。完成した焼き物には、それぞれのプロフェッショナルたちが吹き込んだ人間味あふれる息吹が宿っていました。
原料となる陶石から、器の形を作っていきます。大きく分けて、ろくろ成形と鋳込み(いこみ)成形の2種類があります。磁器は乾燥すると縮むため、その収縮率はもちろん、使った時の手のなじみ、見た目の美しさなども計算しながら、ミリ・ミクロ単位の精密さで成形していきます。
素焼きされた器に、焼くと藍色に発色する絵の具「呉須(ごす)」を使って絵付けをしていきます。文様の線を描く工程を「線描き」、面を塗りつぶす工程を「濃(だ)み」と呼び、それぞれ別の専門職人による分業で行われます。
下絵の施された器は、乳白色の釉薬がたっぷり入った容器の中に浸けられていきます。下絵の文様はいったん見えなくなりますが、釉薬は焼くと透明のガラス膜となるので、肌につやが出て文様が浮かび上がります。
薪やガスなどの燃料を使い、1300℃の高温で焼き上げます。火入れから焚き終わりまで2日間。ゆっくり冷ました後、窯出しされます。オリジナル宝瓶揃のように、呉須のみで絵付けされた「染付け」と呼ばれる器は、この工程で完成となります。
本焼成後の器に、赤、緑、黄、金など藍色以外の絵の具を使って、釉薬のガラス膜の上から絵付けをしていきます。白磁に上絵付けを施したものを「赤絵」、染付け(下絵付け)したものに上絵付けを施したものを「染錦(そめにしき)」と言います。
上絵付けが終わった器は、一点一点入念に点検し、細かなホコリを取り除いてから専用の上絵窯へ。釉薬の上に絵の具を定着させるため、800℃前後の低温で焼き上げます。
17世紀初頭、朝鮮人陶工・李参平らによって有田東部の泉山で磁器の原料となる良質な陶石が発見されたことから、日本における磁器の歴史が始まりました。有田郷で焼かれ始めた磁器は鍋島藩の保護育成と厳しい管理のもと、最寄りの伊万里港から「伊万里焼」として全国に運ばれました。このことから、江戸時代の古い有田焼は「古伊万里」と呼ばれています。
1616年、朝鮮人陶工・李参平により発見された日本初の陶石採掘場。現在、採石は行われておらず、大正以降の有田焼には熊本県天草産の陶石を用いることが多くなっています。
有田焼の守護神、陶山神社。大鳥居や狛犬、大水瓶、欄干などがすべて磁器でできています。神社の参道を横切るようにJRの線路が通っており、全国的にも異色の神社として有名。
トンバイ塀とは、登り窯の廃煉瓦(トンバイ)や壊れた皿などを赤土で塗り固めて作った塀のこと。焼き物の町ならではの風情が、人々の日常生活の中に溶け込んでいます。