ロシアを中心に、東欧や中央アジア、インド、中国、そして南米まで、実体験から作られた実践的かつ膨大な世界中の料理レシピに関する著作で知られる料理研究家の荻野恭子さんに、ロシアのお茶文化についてお尋ねしました。
※こちらの記事はルピシアだより2018年2月号特集「ロシアのお茶文化」掲載「料理研究家・荻野恭子さんインタビュー」のロングバージョンです。
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ロシアでは多くの人々が紅茶に角砂糖を少し浸した甘い汁をすすったり、薄切りのレモンを添えたり、果実を砂糖で甘く煮たロシア風ジャム=ヴァレーニエを食べながら、本当に大量のお茶を飲みます。英国を中心としたお茶文化と異なる特徴の一つは、紅茶にミルクやクリームを添えないこと。その理由は大きく二つ考えられます。
一つは体を温める紅茶は基本的に冬の飲み物であるということ。夏の飲み物の代表は、ライ麦パンと果実を発酵させて作る清涼飲料クヴァースや、ヴァレーニエを水で割ったモルス、自家製のハーブティーや野草茶です。
もう一つは、新鮮なミルクは夏の食材だということ。家畜が秋に交配し初夏に子供が誕生し秋には独り立ちする。乳製品が安定して入手できるのは、初夏から秋までの限られた期間だけです。
極寒地にあるロシアでは、季節ごとに入手できる食材は制限されます。だからこそ、菜園を兼用した別荘ダーチャの、春〜秋の収穫は非常に大きな喜びであり、また保存食を準備することも大切な作業。夏に摘んだベリーのヴァレーニエを、厳冬期に温かい紅茶と一緒に、家族や友人と詩や哲学を語りながら味わう。そんな風土や生活に即したインテリジェンスが、ロシアのお茶文化にはあるのです。
日本ではあまり知られていませんが、ロシアでもお茶を栽培しています。
2014年の冬季オリンピックの開催地としても知られる黒海沿岸のリゾート地ソチが有名な、北コーカサスのクラスノダール地方は世界的にお茶の商業栽培の北限ともいわれています。
自分がロシアで味わったクラスノダール産の紅茶は、見た目はセイロンなどのブロークンタイプに似ており、トルコやグルジアの紅茶と同じようなタイプ。ほのかにフルーティーでおいしいものでした。
東西に大きく広がるロシアは、このクラスノダールを含むコーカサス地方から西アジア、そして中近東へと陸続きでつながっています。そのためにロシアの食文化は、世界三大料理として知られるトルコ料理から受けた影響も大きいのです。
例えば、ロシアのお茶請けの定番となるスーシキ(ドーナッツ状の乾パン)は、もともとトルコのシミットという円形のパンがルーツです。また世界中に有名なロシア料理として知られるロールキャベツ(ガルブツィ)は、トルコのブドウの葉を使った詰めもの料理(ドルマ)に由来しています。
こういった食材や調理法が伝播していく経路をたどっていくことは、非常に興味深いことですが、学者の論文や書籍などの知識だけでは追跡が難しい。私は長きにわたりロシア料理を極めるために、ロシア各地だけではなく周辺の国々をすべて歩き、ユーラシア大陸全体での見聞を広めています。
大陸で暮らす人々は、自然の摂理に寄り添い「生活の知恵」を凝縮し暮らしています。
「生きるために食べる!」
「食べるものには食べる時期がある」
昨今の良き時代になっても、食文化は長い歴史の中で育まれていて、変わることなく続いています。実際に自分の目で様々な料理が調理されている現場で、地道に現地を訪問しながら、体験を積み重ねて得られた知識が真実だと思い、もう40年間以上、実践しているのです。