ルピシアだより 2018年2月号
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ロシアのお茶文化 ロシアのお茶文化

北海道のさらに北、海をはさんで隣接するロシアは世界有数のお茶の消費量を誇ります。広大なロシアのお茶文化についてご案内します。ルピシア ロシアンティー

※ロシア連邦の2013年のお茶消費量は年間15万9100トン(出典: FAO IGG Secretariat.)。
1人あたりの紅茶消費量はトルコ、アイルランド、英国に次いで第4位。

ロシアンティーの謎

「ロシアンティーお願いします」と、喫茶店やロシア料理店で注文すると、イチゴなどのジャムが入った紅茶が提供されます。特に食後の一杯は、おいしいですよね。

しかし、スパゲッティナポリタンをイタリアで、ジンギスカン料理をモンゴルで食べられないのと同様、「ロシア本国で飲まれている紅茶」が、必ずしもジャム入りではないという事実は、近年、多くの人々に知られるようになっています。

興味深いことに、ロシアンティーに対する同様の誤解は、世界的な現象でもあるのです。

例えば米国東南部では、クリスマスに飲まれる、オレンジなどのジュースとシナモンを加えた甘い紅茶のカクテルがロシアンティーと呼ばれています。また英国ではロシアンティーは、ラム酒などの蒸留酒とレモンを加えた紅茶を意味します。

これら謎と多様性に満ちたロシアのお茶文化について、あらためて探ってみましょう。

ラクダのキャラバン

ロシアにお茶が公式に伝わったのは17世紀前半、モンゴルからロシア皇帝へ献上された中国茶でした。やがて17世紀後半、ロシアと清(中国)の間で国交が結ばれると、漢口(現在の湖北省・武漢市)からブロック状に固めた磚茶(たんちゃ)を積んだラクダの隊商(キャラバン)が、約1年半をかけて、モスクワなど最長1万8,000kmに渡る距離を移動するようになります。

隊商はあまりの長旅だったため、野宿時の焚火の匂いがお茶に移り、正山小種(ラプサンスーチョン)など燻製茶の起源になったという珍説もあります。

この交易は19世紀後半のスエズ運河の完成で規模が縮小し、20世紀前半のシベリア鉄道のモスクワと極東ウラジオストク間の開通をもって終了するまで、200年以上続けられました。

お茶交易の道「万里の茶道」
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サモワールの団欒(だんらん)

ロシアでの喫茶スタイルは、導入部こそ中国式を模倣していましたが、やがてロシア式といえる独自の習慣が誕生しました。その中心となったのが「自ら沸かす」という意味を持つ、金属製の湯沸かし器サモワールでした。中央に炭火などの燃料を入れ、周囲の空洞部に水を注ぎ、熱湯が完成すれば準備は完了。濃く抽出した紅茶をティーカップに注ぎ、お湯を足して好みの味わいに調整します。

これはロシア人にとって大革命でした!! 暖房器具を兼用するサモワールを中心に、家族や友人との団欒、親密な人間関係の場としての「楽しいお茶の時間」が確立。極東から中央アジア、そしてヨーロッパに位置する広大なロシアの多様な文化圏は、お茶とサモワールを通じて一体化したと言っても過言ではないでしょう。

秋の誕生日会にサモワールを中心とした喫茶を屋外で楽しむ子供たち。ニコライ・ボグダノフ・ベルスキー(1868-1945)「先生の誕生日」(1920年頃)。

「客が家に来たら家にあるものはすべて出してでももてなすべし」という諺(ことわざ)のあるロシアでは、お茶の時間も大盤振る舞い。パンや焼き菓子、季節の果物などが喫茶のお供です。紅茶に必ずといってよいほど添えられるのは砂糖、そしてレモンやロシア風ジャム=ヴァレーニエ。郊外の別荘ダーチャの庭で摘んだベリーなどを使った、自家製であることが多いヴァレーニエは、主にお茶請けとして食べられます。またウォッカなどの蒸留酒が加えられることも。興味深いことに、ミルクティーは一般的ではありません。

さて冒頭の「ロシアンティーの謎」の回答は、紅茶と一緒にヴァレーニエや、お酒、砂糖などを味わうロシア独自の喫茶の習慣が、海外に流出していく中で、各地で習慣化したものでしょう。

英国のレモン入りロシアンティーの起源は、英国からロシア王室にニコライ二世后妃として嫁いだアレクサンドラが、祖母ヴィクトリア女王に振る舞った紅茶という説が有力です。また日本のジャム入りロシアンティーは、砂糖が手に入りにくかった20世紀前半に、砂糖代わりの甘みとしてヴァレーニエを加えた紅茶を旧満州などで飲んだ退役軍人が、帰国後に開店したロシア料理店のメニューから広まったと考えられます。米国風ロシアンティーも、宗教の自由や内戦、革命から亡命した移民の人々の習慣が、形を変えて伝わった名残りです。

ロシアのお茶の文化は、まだまだ未知の領域が多く、私たちの好奇心を満たす、新しい刺激を与えてくれる可能性があります。

「ロシアでミルクティーが飲まれない」理由とは? 料理研究家・荻野恭子さんインタビュー

ロシアを中心に、東欧や中央アジア、インド、中国、そして南米まで、実体験から作られた実践的かつ膨大な世界中の料理レシピに関する著作で知られる料理研究家の荻野恭子さんに、ロシアのお茶文化についてお尋ねしました。


※こちらの記事はルピシアだより2018年2月号特集「ロシアのお茶文化」掲載「料理研究家・荻野恭子さんインタビュー」のロングバージョンです。

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ロシアでは多くの人々が紅茶に角砂糖を少し浸した甘い汁をすすったり、薄切りのレモンを添えたり、果実を砂糖で甘く煮たロシア風ジャム=ヴァレーニエを食べながら、本当に大量のお茶を飲みます。英国を中心としたお茶文化と異なる特徴の一つは、紅茶にミルクやクリームを添えないこと。その理由は大きく二つ考えられます。

一つは体を温める紅茶は基本的に冬の飲み物であるということ。夏の飲み物の代表は、ライ麦パンと果実を発酵させて作る清涼飲料クヴァースや、ヴァレーニエを水で割ったモルス、自家製のハーブティーや野草茶です。

もう一つは、新鮮なミルクは夏の食材だということ。家畜が秋に交配し初夏に子供が誕生し秋には独り立ちする。乳製品が安定して入手できるのは、初夏から秋までの限られた期間だけです。

極寒地にあるロシアでは、季節ごとに入手できる食材は制限されます。だからこそ、菜園を兼用した別荘ダーチャの、春〜秋の収穫は非常に大きな喜びであり、また保存食を準備することも大切な作業。夏に摘んだベリーのヴァレーニエを、厳冬期に温かい紅茶と一緒に、家族や友人と詩や哲学を語りながら味わう。そんな風土や生活に即したインテリジェンスが、ロシアのお茶文化にはあるのです。

日本ではあまり知られていませんが、ロシアでもお茶を栽培しています。

2014年の冬季オリンピックの開催地としても知られる黒海沿岸のリゾート地ソチが有名な、北コーカサスのクラスノダール地方は世界的にお茶の商業栽培の北限ともいわれています。

自分がロシアで味わったクラスノダール産の紅茶は、見た目はセイロンなどのブロークンタイプに似ており、トルコやグルジアの紅茶と同じようなタイプ。ほのかにフルーティーでおいしいものでした。

東西に大きく広がるロシアは、このクラスノダールを含むコーカサス地方から西アジア、そして中近東へと陸続きでつながっています。そのためにロシアの食文化は、世界三大料理として知られるトルコ料理から受けた影響も大きいのです。

例えば、ロシアのお茶請けの定番となるスーシキ(ドーナッツ状の乾パン)は、もともとトルコのシミットという円形のパンがルーツです。また世界中に有名なロシア料理として知られるロールキャベツ(ガルブツィ)は、トルコのブドウの葉を使った詰めもの料理(ドルマ)に由来しています。

こういった食材や調理法が伝播していく経路をたどっていくことは、非常に興味深いことですが、学者の論文や書籍などの知識だけでは追跡が難しい。私は長きにわたりロシア料理を極めるために、ロシア各地だけではなく周辺の国々をすべて歩き、ユーラシア大陸全体での見聞を広めています。

大陸で暮らす人々は、自然の摂理に寄り添い「生活の知恵」を凝縮し暮らしています。

「生きるために食べる!」

「食べるものには食べる時期がある」

昨今の良き時代になっても、食文化は長い歴史の中で育まれていて、変わることなく続いています。実際に自分の目で様々な料理が調理されている現場で、地道に現地を訪問しながら、体験を積み重ねて得られた知識が真実だと思い、もう40年間以上、実践しているのです。

お詫びと訂正
「ルピシアだより2018年2月号」におきまして誤りがありました。
お詫びとともに、ここに訂正させていただきます。

P3「ロシアのお茶文化」図版 「磚茶(たんちゃ)」キャプション
(正)〈1895年にロシアに輸出された紅茶の量はおよそ5万5000t。〉
(誤)〈1895年にロシアに輸出された紅茶の量はおよそ5万5000km。〉