宇治茶800年の歴史
宇治川の清流が南北に流れ、平安貴族の別荘地として拓けた宇治。そんな宇治のお茶の歴史の始まりは、約800年前の鎌倉時代初期のことです。宋からチャノキの種を持ち帰った栄西禅師が、京都・栂尾高山寺(とがのおこうさんじ)の明恵(みょうえ)上人に種を贈ったとされます。そして、明恵上人により茶の栽培方法が伝えられたのが宇治茶の始まりとされています。室町時代には三代将軍足利義満が宇治に七つの茶園(七茗園)を開き珍重、茶の栽培を推奨しました。江戸時代には、毎年幕府に宇治茶を献上する「御茶壷道中(おちゃつぼどうちゅう)」が制度化。江戸からやって来た茶壷付添人が、旬を迎えた宇治茶を詰めた壷を将軍のもとへと運びます。この宇治茶の上納は約250年もの間続きました。このように、宇治茶は茶の湯文化の隆盛とともに時の権力者から手厚い庇護を受けながら、ブランド茶としての地位を確立しました。明治時代後期には、国内市場開拓へと展開し、一般家庭に生活文化としてのお茶を根付かせ、その名声を確固たるものにしました。