ルピシアだより 2016年7月号
チェック
〜心近しい麗しの島〜 台湾 〜心近しい麗しの島〜 台湾

沖縄の南西に位置する台湾。お茶はもちろん、たくさんの魅力にあふれるこの島と日本の近くて深い繋がりをご紹介します。

何度も訪れたくなる魅惑の島

飛行機でたったの数時間。距離が近いこともあるからでしょうか、ここ数年、台湾を旅行する日本人のリピート率はなんと50%(台湾交通部観光局調べ)にも上るそう。何度も訪れたくなるその魅力は一体どこにあるのでしょう。何を食べても美味しいと評判の美食の数々、歩くだけでワクワクする夜市(よいち)や問屋街など、見所を数え上げればきりがありません。

烏龍茶を始めとする台湾茶は、そんな数ある魅力の筆頭。様々なお茶が並ぶお茶屋さんやゆったりとお茶を楽しめる茶藝館(ちゃげいかん)、手軽なティースタンドなど台湾には様々な形でお茶文化が根付いています。旅先でお茶と出会い、虜(とりこ)になった方も多いのではないでしょうか。

人気の高山茶産地 阿里山(アリサン)と
日本の関わり

温暖な気候に恵まれ、変化に富んだ地形を有する台湾は、世界でも有数のお茶産地。中でも一、二を争う名産地が、台湾中部にそびえる3000m級の山々からなる阿里山です。風光明媚な観光地としても有名なので、その名を聞いたことがある方も多いでしょう。山岳の雄大な景色を見下ろしながら走る阿里山森林鉄道も人気のスポット。実はこの鉄道、日本人によって作られたということをご存知でしょうか。

日本が台湾を統治していた1900年初頭、阿里山が樹齢千年を超える杉やヒノキの自生する良材の宝庫であることを知った日本人は、材木を運搬するために森林鉄道を建設。日本に運ばれた巨木は、明治神宮の大鳥居や靖国神社の神門など多くの神社仏閣に使われました。今や阿里山のシンボルとなり世界三大登山鉄道の一つに数えられている阿里山の森林鉄道は、日本統治時代の遺産なのです。

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日本統治時代が台湾に残したもの

1554年、ポルトガル船に発見されて以来、オランダや清国(しんこく)など数々の列強に支配されてきた台湾は、1895年から1945年まで日本の統治下にありました。民政長官・後藤新平を始めとする有名無名の多くの日本人がインフラ整備や都市計画、国語や道徳教育などに心血を注ぎ、台湾の発展に尽くしました。結果的にそれが現在の台湾の基礎になったとされています。

さらに日本は、島の経済の重要な地位を占めていた茶産業の振興にも力を入れました。それまでの烏龍茶に加え、紅茶と緑茶の生産も開始。製茶機械を導入し、品種改良を行う試験所や技術者を育成する機関を開設しました。他にも品質管理のための検査機構を設立したり、各地の博覧会にて大々的に売り込んだりと、台湾の茶産業の近代化を推し進め、その産出量・輸出量の増大と品質向上、名産地としての名声の獲得に一役買ったのです。

現在も茶業関係における日台の技術交流は続き、手を取り合ってより良いお茶の生産を目指しています。

台湾に惹かれるもう一つの理由

このような歴史的経緯から日本に特別な想いを抱く年配の方々もいれば、純粋に日本のポップカルチャーに憧れる若い世代もおり、一般的に台湾には親日家が多いと言われています。

これには日本統治下に生まれ、京都帝国大学に在籍した経歴を持つ李登輝(りとうき)の影響も大きく、1988年に彼が総統に就任したことで親日ムードがより一層高まりました。台湾民主化の父、李登輝は農業振興策を推進し、戦後の台湾茶の復興に寄与したことでも知られています。

島のあちこちに日本の建築物や文化が残っており、往時の面影が今も息づいている台湾。この島を訪れると、思いがけず現地の人々のやさしさや親切、笑顔に出会うことがよくあります。私たちが台湾に惹かれる大きな理由の一つに、物理的な距離の近さだけではない“心の近さと繋がり”もあるのかもしれませんね。

◇閉店のご案内◇
2016年5月末をもちまして、台湾忠孝敦化本店は閉店いたしました。
長年に渡りご愛顧いただきました皆様に、心より御礼申し上げます。
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