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失われた「紅茶の時代」とは?
明治初期、日本から海外への輸出貿易品の中で、お茶は絹や生糸と並ぶ重要な商品でした。
政府による茶業振興のため明治8年(1875)から中国各地やインド・ダージリン、アッサムなど海外の紅茶産地に出張。当時最先端技術であった紅茶の近代的な製法を命がけで学び国内に広めた多田元吉(ただもときち1829-1896)は、日本の近代茶業の始祖であり、また様々な品種の紅茶茶樹を日本に運んだ和製プラントハンターです。
多田元吉が運んだ海外品種の茶樹は、紅茶はもちろん烏龍茶や緑茶などの品種改良の母樹となり、国内在来品種などと交配を重ねる研究が各地の製茶試験場で続けられました。
しかし、日本の紅茶の輸出向け生産は昭和初期をピークに国際的な価格競争力を失います。国内需要向けの紅茶生産も 1971 年に紅茶の輸入自由化が開始されたことで、価格の安いインドやセイロンの紅茶に押されて市場が減少。日本の紅茶の生産は、一部の限られた生産者や日本茶を主体とする茶園での副業などに限定される状況が続いていました。
新世代「和紅茶」、その可能性の中心
10数年ほど前から一部のコンテストや品評会出品を中心に、和紅茶の品質がみるみる向上し、インド・ダージリンやアッサムのクオリティーと比較しても遜色ない品質の、新世代と呼べる茶葉が散見されるようになりました。これら一連の茶葉は、年々、風味や香りが変化、進化するなど、生産者自身の若々しい感性や多彩な個性が感じられる、世界の他の産地と比較しても興味深いお茶が含まれていました。
ルピシアではこれまで、製造単位(ロット)などの問題でこれらの紅茶の販売を見送っていました。しかし今回、いわば満を持す形で新世代「和紅茶」をご紹介できることに、深い喜びを感じています。
お茶産地としては北に位置する茨城県猿島(さしま)から3種の紅茶と、宮崎県五ヶ瀬町の釜炒り茶の名人興梠洋一(こうろぎよういち)さんが作った紅茶をお届けします。
新世代「和紅茶」、その可能性の中心となる、発見と驚きに満ちた幸福な味わい。ごくごく少数ではありますが、ぜひ味わってみてください。